この記事では、キッズ・ウォーを音楽の観点から見ていきたいと思います♪♪
「キッズ・ウォーの音楽」と聴いて皆さんは最初に何を思い浮かべますか?
主題歌、劇中のBGM、キャストの歌声など一人ひとり違うと思います。
今回は探索隊長がキッズ・ウォーの音楽に関係する方を取材!
協力してくださったのは、主題歌「魔法のメロディー」(パート1)と「愛の花」(パート2)の歌声でおなじみ、この方です!
今回はSHUJIさんにメールで質問を送り、答えていただきました。
この記事を読めば、あなたも「愛の魔法」にかかるかも!?
※回答いただいた内容は、主旨を変えない範囲で編集しています。
それでは、さっそくキッズ・ウォー Music World へ Let's Go!
SHUJIさんが音楽を始めていなければ、キッズ・ウォーの主題歌は別の曲になっていましたよね?
いったいどんなことがきっかけでを音楽を始めたのでしょうか?
趣味のキャンプについても質問しました。
――音楽活動を始めようと思ったきっかけは?
もともと父親が民謡の歌手を、母親がダンスをやっていたこともあり、小さいころから家に音楽があるのが当たり前の環境で育ちました。
音楽活動を始めたのも何かに衝撃を受けてではなく、「あっ、オレって音楽やるんだな。」という感じでした。
中学生くらいの時に「THE BLUE HEARTS」や「X」が出てきてバンドブームがあったこともあり、ロックやバンドをやりたいと思うようになったのは自然の流れでした。
――小中学生時代はどんな子供でしたか?
クラスに必ず1人はいる目立ちたがり屋の男の子でした。
学級委員よりも裏でみんなをまとめちゃうようなイケイケの子でした。
――学校の部活動も音楽関係だったのでしょうか?
僕の世代って部活動と言えば野球とサッカーがメジャーでした。
でも、みんな違うことをやりたいということもあり、剣道部に入っていました。
もともと小学生の頃から剣道をやっていて、埼玉県内では結構強かったんです。
見た目がサムライみたいでカッコイイなと思って始めたのを覚えています。
――中学時代に大きな思い出があるそうですね?
中学2年生の時に学園祭のテーマソングを僕が作って、生徒会が作詞をして、バンドで演奏して生徒に歌ってもらいました。
その時の思い入れが強く、当時の気持ちは忘れられません。
今は飲食店で働いているのですが、そこで働いている時でも音楽活動をしている時でも「心の中には14歳の自分がいるんだ」って思っています。
もし、過去に戻れるとしたら中学生時代に戻ってみたいです。
――高校時代はいかがでしたか?
家から自転車で15分くらいの高校に入学したのですが、その学校を選んだ理由が「バンドやるために早く帰って来られるから」と「友達と遊びたいから」でした。
そのため、バンドやっているか遊んでいるかで、ほとんど学校に行っておらず、「この授業だけ出ればいい」とか「何回遅刻をしなければいい」とかを自分で計算して、どうすればギリギリの単位で卒業できるかを考えていました。
当時は高校の「中」よりも「外」を楽しんでいて、バンドで年上のお兄ちゃんと遊んだり、ライブハウスにもよく行きました。
――高校卒業後の進路は?
小さいころからピアノをやっていたため、ピアノをしっかり勉強したくて初めは音楽大学のピアノ科に入るつもりでしたが、ピアノ科に行ってもロックはできないと思いました。
また、ロックをやるには知識がないといけないため、音楽理論やギターを教えてくれる東京の専門学校を選びました。
「ピアノよりもロックが勝った!」という感じです。
当時は埼玉県内に住んでいて、「少しは東京に行きたい」という気持ちや、「学生になれば東京にも行けるだろう」という甘い考えもありました。
専門学校に行くことについて親は「あなたが決めたんだから、やるならとことんやりなさい。」と応援をしてくれました。
僕の性格が、「昔から自分で決めたことは絶対曲げない」ということを親もわかっていたのでそう言ってくれたのだと思います。
――専門学校生活はいかがでしたか?
専門学校の過程は2年間なのですが、MELODYの前にやってたバンドが2年生の時にとても忙しく、ツアーで各地をまわっていたので単位を落としてしまい、1年留年しました。
ただ、そのぶん多くのミュージシャンと出会えました。
音楽の専門学校は生徒が皆ミュージシャンで、同い年の人ばかりでなく、僕よりも5~6歳年上の人もいれば10歳上の人もいます。
学校というよりもお互いが「仲間」で、ミュージシャンが集まってワチャワチャしている楽しい雰囲気でした。
――音楽を仕事にしたい高校生がいたとしたらどんなアドバイスをしますか?
音楽というものは、ないものを自分で生み出し、それに値段を付けて売り物にしなければいけません。
また、仕事にしようと思って仕事になるものではなく、「やった結果、仕事になる」というものです。
続けるには何か一つを犠牲にしないとできないと思います。
例えば、「みんなが彼氏彼女と遊んでいるけれど、恋人を作らないで音楽に突き進む」とか。
「自分のやりたい音楽をとことんやり尽くす」というのが僕のアドバイスです。
――キャンプを始めたのはいつ頃?
海外の人が配信しているYouTubeを見たことがきっかけで2017年くらいから始めました。
キャンプはいつも1人で行くのですが、僕のスタイルは物が少ないので片付けも楽です。
普通のキャンプは色々なものを買いそろえると思うのですが、僕はトム・ソーヤの冒険に出てくるような原始的なほうが好きです。
――ご自身のYouTube動画で必ず初めに「ブイブイ~!」と言う理由は?
自分のカラーとして定着させようと思って続けています。
ドリフのコントを見ていると「たらい」が落ちて来ますよね?
落ちてくるのが分かっていても、落ちてこないとドリフではないみたいでつまらないと思うんです。
そう考えると、「ブイブイ~!」って毎回やってもいいと思っています。
僕の「ブイブイ~!」のイメージは、バブル時代のような元気のいい雰囲気で、「みんな元気出そうよ!」みたいな感じです。
当時は分厚い求人の本が毎週2冊発行されるくらい仕事がいくらでもあり、新入社員が外車に乗っているような時代でした。
キッズ・ウォーの主題歌に限らず、MELODYとしての活動全般について質問をしました。
大変だったことや印象残っていることはどんなことだったのでしょうか?
――バンド名の由来は?
「この曲、子供の頃に聞いてたけど今でも好き」という曲など、どんなに時間が経っても色あせないメロディーが皆さんにはあると思います。
心にずっと残っていくようなメロディーを作りたいと思い「MELODY」としました。
――活動の中で大変だったことは?
大変だったのはお金がないことでしたが、アルバイトをしすぎるとバンドの練習に行けなくなってしまいます。
アルバイトの予定をメンバー5人で合わせないといけなかったのもまた大変でした。
「この日は全員アルバイトしちゃだめだよ」などと、スケジュール管理をしていました。
――喜びを感じたのはどんな時?
気が付いたらアルバイトの回数がどんどん減り、ライブの収入だけである程度生活できるようになりました。
ただ、その時はまだ喜びを感じておらず、振り返ってみて「1つのライブのギャラだけでメンバー全員の1か月分の生活費くらい稼いだ」、「新車に買い替えられた」と考えると喜びを感じました。
つまり、幸せが後から来ていました。
何よりうれしいのはチケットがたくさん売れた時です。
――ライブで全国を移動するときの費用はどのように用意している?
各回のライブのギャラを積み立ててそのお金だけで移動していました。
交通手段の手配も自分たちでやっていました。
メジャーになった後はレコード会社とか事務所からのツアーの生活費が出ます。
それを事務所の人が管理してくれていたため、僕たちはお金に関してはノータッチでした。
――MELODYのファンはどんな年齢層が多かった?
中高生が多く、98%が女の子で、男の子は2%いるかいないかでした。
色々なバンドが出るライブにMELODYも出ていたため、違うグループを見に来た人たちが僕たちのことを見て、「今度MELODYのライブに行ってみようか?」と次回も見に来てくれる人や、口コミで僕たちの存在が広まったと思います。
中には小学生のファンもいて、お母さんと一緒に来ていました。
――ファンクラブのイベントはどんなことをしていた?
例えば、後楽園遊園地(現東京ドームシティ)でローラースケートのリンクを全部貸し切ってレクリエーションをしたり、マザー牧場でバーベキューをしたり、ファンとMELODYとのコミュニケーションの場を作りました。
当時はまだネットがなかったため、ファンクラブ会員向けに発行する会報でイベントの案内をしていました。
――曲のタイトルの決め方は?
サビの中に出てくるフレーズで、インパクトのあるものをタイトルにしています。
本のタイトルはインパクトが強いので、本屋さんに行って少女漫画や中高生が読む小説のタイトルを参考にすることもあります。
丸パクリはしませんが、半分いただくなどしていました。
ざっくりとタイトルをつけることもありますが、勝負曲は必ずサビの中に曲名が入っています。
これは一種の戦術です。
――歌詞を書くときに最も大切にしていたことは?
ストレートに歌詞を書かずに遠回しに意味を伝えることです。
作曲より作詞の方が難しいです。
歌詞の作り方はメジャーになる前にアレンジャーさん(アレンジをしてくれる方)から現場で教えてもらいました。
例えば、「君を守るよ」という意味にしたい時は、「君を守るよ」のままだとストレート過ぎますよね?
そういう時は「もし、君を悲しませる雨が降ってきたら僕が傘になるよ」というように、小説のようなテクニックを入れます。
また、他のアーティストの歌詞を参考にすることもあります。
ジャニーズの歌詞はプロが書いており上手なため、参考することが多かったです。
――音楽活動がない日は他のメンバーに会っていた?
独りが好きというのもあるのですが、僕は休みの日はメンバーと会っていませんでした。
他のメンバーは飲みに行ったり、買い物に行ったりしていたようです。
ライブの日はリハーサルが終わってから本番まで時間があるので、他のメンバーはみんなで食事に行くのですが、その時も僕は一緒に行かずに独りでいました。
たまに「僕も行くよ。」と言うと、「来るの!?」とビックリされるくらいでした。
ライブが始まるまでは色々溜め込んでおきたいのでテンション低めでした。
その代わり、ライブが始まると一気に爆発していました(笑)
――音楽活動の中で特に印象に残っている出来事は?
「学校でいじめられている。」という内容のファンレターをいただいたことがあります。
「学校に行きたくないけれど、MELODYの曲を聞いて勇気が出たから頑張って行ってくるね。」という内容でとてもうれしかったです。
それだけ「僕たちの影響力があるんだな。」と感じました。
僕たちの曲に対してそのように感じた子がいてくれたのがとてもうれしくて、母親にも伝えました。
皆さんはパート1の主題歌「魔法のメロディー」のバージョンが複数あるのを知っていましたか?
主題歌に選ばれるまでのことなど、「ココだけの話」を詳しく教えていただきました。
引き続きお楽しみください!!
――主題歌を歌うようになるまでの経緯は?
まず、所属事務所が決まった後、事務所の人たちが「魔法のメロディー」をファーストシングルで出すためにレコード会社を決めることになりました。
事務所とつながりがある日本クラウンに曲を持ち込んだら「この曲きっと売れるよ!」となりました。
最初にタイアップが取れたドラマが実は「大好き!五つ子」でした。
しかし、それがある日変更になり、変更後のドラマが「キッズ・ウォー」でした。
変更理由は知らされませんでしたが、ドラマとタイアップできたのは大人の力ということです。
その後、脚本家の畑嶺明さん、事務所の社長さん、ドラマのスタッフの方々が僕たちのライブに来て、「魔法のメロディー」を生で聞いたところ、「ドラマのイメージにピッタリだ!」ということで、「魔法のメロディー」がキッズ・ウォーの主題歌になることが正式に決まりました。
ドラマが始まる3か月くらい前(1999年5月)のことだったと思います。
――CBC(キッズ・ウォーを制作した放送局)ではどんなことをした?
訪問目的はあいさつがほとんどでした。
ドラマを制作する側のリーダーにお会いして、「主題歌を歌うMELODYのSHUJIと申します。」などとあいさつをしました。
一方、出演者のかたには一度も会ったことがありません。
CBCに行くとキッズ・ウォーの番宣ポスターがたくさん貼ってあり、そこにサインをしたこともありました。
――「魔法のメロディー」は複数バージョンあるそうですね?
まず、最初に作ったのが「インディーズバージョン」です。
所属事務所の人やレコード会社の人と一緒に仕事をするようになると、インディーズバージョンのレベルを上げるためのアレンジが1回入りました。
そこで出来上がったのが「ウルトラバージョン」です。
ライブ会場では、「魔法のメロディー」をより多くの人に知ってもらうために、ウルトラバージョンを無料配布しました。
その後、再びレベルアップをして「メジャーバージョン」が出来上がりました。
その「メジャーバージョン」に加えて、ドラマのオープニングで流れたバージョンがありますから、「魔法のメロディー」は全部で4バージョンあるというわけです。
――「魔法のメロディー」の歌詞がドラマの主題歌になる前後で変わった理由は?
インディーズバージョンには「切ない、会いたい、抱きしめたい」という歌詞が入っていたのですが、ドラマの制作側からNGが出ました。
理由は、キッズ・ウォーが昼ドラのため、「切ない」という歌詞がマイナスイメージになってしまうとのことでした。
「昼ドラで小学生、中学生、そのお母さんたちが見るドラマなので、それに合うような雰囲気の歌詞をお願いします。」という依頼を受け、歌詞を全部書き替えました。
――「愛の花」はドラマの主題歌として依頼があって作ったのですか?
そうです。
キッズ・ウォー2とのタイアップが決まり、どのような曲にするかを決めるために30曲くらい作りました。
どの曲も完全な曲としてではなく、1曲あたり20秒程度のものが多く、ギターを弾きながら鼻歌を歌う程度です。
その後、会議を経て最終的に出来上がったのが、皆さんが聞いている「愛の花」です。
――「魔法のメロディー」や「愛の花」の歌詞に込められた思いは?
どちらもドラマの曲として依頼を受けて作ったため、歌詞よりもドラマに対する思いがあります。
ドラマのストーリーは番組宣伝があるまで知らなかったため、イメージで曲を作りました。
歌詞は僕一人ではなく、アレンジャーさんとコミュニケーション取りながら書いており、僕一人で作り上げた曲ではありません。
「ガチャガチャしてる方ががいいかな?」、「しっとりしてる方がいいかな?」と考えながら単語を選んで入れるだけという少しドライな作り方をしていました。
色々な歌詞のストックがあってそれをつなぎ合わせるイメージです。
――「魔法のメロディー」と「愛の花」で好きな歌詞の部分は?
「魔法のメロディー」は「駆け引きしても割りきれない」の部分です。
振り返ってみると「うまいことやったな」と思っています。
「愛の花」は「花の命は短すぎる されど人は愛に生きる 愛の花」の部分で、日本の情緒が感じられると思います。
僕は声も楽器だと思っており、曲によって多少声質を変えています。
「愛の花」に関しては歌の響きが日本的になるように意識しています。
「魔法のメロディー」と「愛の花」の間は1年あり、その間にテクニックも上達して上手く歌えるようになりました。
――主題歌を歌うようになってから変わったことは?
デビューして半年くらいは実家にいたのですが、近所の人からも声をかけてもらいました。
あと、全然仲良くなかった友達から家に電話がたくさんありました(笑)
僕は忙しくて家にいなかったので電話対応は母がしていました。
他のメンバーも同じような感じだったそうです。
――1シーズンあたり40~45回主題歌が流れることをどう感じた?
まず、主題歌の力はすごいと思います。
テレビを付けていると必ず決まった時間に放送されますよね?
キッズ・ウォーは全国ネットのドラマだったので、午後1時30分にテレビをつけると自分の曲が40~45回流れるのはうれしかったですし、感動しました。
僕も当時放送されているのを見ましたし、親は録画していました。
――ドラマで印象に残っているシーンは?
パート2でリストラされて専業主夫をしている大介さんが洗濯物を干している時にBGMで「愛の花」が流れていたシーンです。
大介さんのキャラクターで洗濯物干している姿が面白く、その時にBGMで自分の曲が流れていたことが印象に残っています。
――出演できたとしたらどんな役をやってみたかった?
まず、役の前に井上真央ちゃんとは絶対関わりたいです。
役としては「バンドをやっていて頼れるロックのお兄ちゃん」が希望です。
キッズ・ウォーのドラマは、茜ちゃんなりに悩んだり、シリアスな場面がドラマにありますから、「誰にも相談できないけれど、あのロックのお兄ちゃんになら相談できる。」というように茜ちゃんに頼られる役をやってみたかったです。
パート2の主題歌が決まった時に「出演したい!」って頼んだことがあるのですが、台本の内容も全部決まっていて、出る場面がないので断られてしまいました・・・。
キッズ・ウォーへ出演する夢は今でもあります。
――キッズ・ウォーがなぜ人気になったと思いますか?
まず、放送された時期が夏休みで、子どもも親も家にいる昼の1時半という時間がドンピシャです。
そこで人気の理由の8割くらいを占めていると思います。
やんちゃな子が出てくるけれど、パート2の終盤から恋愛要素が入ることや、ピンクっぽい場面を昼間に少しだけ出して、子どもがキュンとする内容になっているのも大きいと思います。
「天までとどけ」は別ですが、昔の昼ドラは結構ドロドロした番組が多かったです。
そのような作品が多い中、子どもが主体のドラマを放送したというのも人気要素だと思います。
お父さん役やおばあちゃん役は大御所でキャストも豪華でした。
公式ガイドブックが出る昼ドラはなかなかないと思います。
キッズ・ウォーの主題歌のみならず、SHUJIさんの歌声やトークを楽しみたいという方、PocochaでSHUJIさんと楽しい時間を過ごしませんか?
ここでは、活動を始めたきっかけや大切にしていることなどについて質問しました。
――Pocochaを始めたきっかけは?
ヘアメイクでお世話になった方に誘われて始めました。
もともとPocochaには興味があったのですが、勤務先の飲食店で店長の役職についていたため勤務時間が長く、なかなか配信する時間が取れませんでした。
ただ、「どうしてもPocochaをやりたい」という気持ちが強く、店長を辞任して勤務時間が短い社員への変更を申し出ました。
仕事が終わって帰宅後に配信を始めることが多いのですが、皆さんに予告したスケジュールより3分以上遅れないように気を付けています。
リスナーの皆さんはMELODYファン、主婦・主夫、一人暮らしで夜勤をしている人が多い印象があります。
――配信に使用している機材はどんなもの?
ミキサーを用意して自分の声とパソコンから流すBGMを混ぜ、スマートフォンを通じてリスナーの皆さんにお届けしています。
トークの時は音量を下げておき、カラオケで歌う時は上げています。
カラオケはPocochaの中に入っているのを使っていますが、MELODYの曲はパソコンから流しています。
――配信で大切にしていることは?
リスナーの皆さんに無理してアイテムを投げさせることはしませんし、言葉遣いについても気を付けています。
例えば、リスナーに対して「そういうこと言うのやめて」と言うと雰囲気が悪くなってしまうため、「それはウチのしゅーちゃんっぽいやつじゃないから言い方変えようか?」、「そういうのちょっと良くないな。」、「ロックじゃないよ。」などと言い換えます。
つまり、やめてほしいことに対して「やめて」とは直接言わず、上手く遠回しに伝えるようにしています。
――近所から苦情を言われたことが一度もないそうですね?
今は地元に住んでおり、近所の人は僕のことをギターやピアノを弾いたり、歌ったりする人だということを昔から知っているため、夜中に多少騒いでも「しゅーちゃん、またやってるんだ。」くらいにしか思われないのかもしれません。
近所を歩いていると「魔法のメロディーはまだ歌ってるの?」と話しかけられることもあります。
このような環境であることや、家どうしが離れているということもあり、苦情を受けたことは1度もありません。
――配信の中で名古屋に行きたいと言っていた理由は?
キッズ・ウォーは名古屋で制作されたため、名古屋での仕事が多かったです。
ラジオの仕事も名古屋、キャンペーンも名古屋、営業も名古屋でした。
当時、名古屋でライブをするとお客さんがとても多く入ったため、名古屋はいまだに大好きです。
名古屋で好きな場所はテレビ塔、食べ物だと手羽先が美味しくて好きです。
ちなみに、名古屋で手羽先を食べていて美味しくて盛り上がってしまい、新幹線の終電を逃したことがあります(笑)
キッズ・ウォーの主題歌に選ばれていなかったら、名古屋のことをここまで好きとは言っていないと思いますし、違うが好きな場所になっていたかもしれません。
――最後に、キッズ・ウォーファンの皆さんにひと言お願いします!
「キッズ・ウォーを好きになってくれることによって、僕の曲を聞いてくれてありがとう。」
これに尽きます!
皆さん、いかがでしたか?
この記事を通してキッズ・ウォーの音楽の世界を味わっていただけたなら、うれしい限りです。
SHUJIさん、今回は貴重なエピソードを教えてくださりありがとうございました!
この場を借りてお礼申し上げます。